円安に思うこと

とよたイノベーションセンター コーディネーター長の松﨑です。

4月24日の円ドル交換レートは154.86円。約34年ぶりの円安とのこと。31歳から約40年間米ドルと付き合ってきましたが、少し昔を振り返ってみます。

私は前職企業の初めての海外専従担当者として1985年5月に新設の米国駐在員事務所に赴任しました。円ドル交換レートは約235円。シカゴ郊外の安モーテルで1泊が約$50。隣の朝マックが約$4。当時31歳の私の手取り月給は10万円程度であり、随分高く感じました。また、日本食レストランでの定食は$20くらいでしたので、なかなか行けませんでした。

その後、1985年9月のプラザ合意によりドル安(円高)が始まりました。急速な円高が進み、翌年には円ドル交換レートは約150円以下となりました。このことは米国のユーザーが買う製品価格が1年間で1.5倍以上になったということです。その後も円高は続き、1988年12月には米国駐在員事務所を閉鎖し家族と帰国しましたが、その際の円ドル交換レートは約125円でした。この間、多くのメーカーは事務所を閉鎖するか米国内に工場を建設するか、決定を迫られました。私は「不退転の覚悟で米国進出する」という経営者から直接指示を受け赴任しましたが、経営者引退前の各国主要顧客への挨拶の際にカバン持ちで同行しニューヨーク市内で宿泊した際には、プラザホテルの前で立ち止まり「ここがプラザ合意のあったところだ」と教えて頂き、短い言葉にその当時の苦しい決断を感じることが出来ました。

帰国後には海外担当として事業拡大のために米国以外も含めて活動を続けましたが、1995年には円ドル交換レートは約80円まで進みました。今の考え方からすれば、しっかり値上げし利益確保すれば良かったのでしょうが、欧米に2社の競合先があり世界市場では後発でしたので、当時の私はそのころの風潮であった市場シェアを取る方向を目指しており、海外顧客との間で価格交渉には大変苦労が多かったのです。

ただし、海外出張に行く際には、今の海外からの訪日客と同じようにホテル代や食事代が安く感じられ、良い経験が出来たことはありました。

米国アトランタの展示会にて(向かって右側、左側は上司)

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